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オススメ記事紹介
カナダには隣国アメリカ合衆国とも一線を画す独自のスポーツ文化が存在します。その一部をご紹介します!
【カナディアンフットボール】
カナディアンフットボールはカナダでは単にフットボールと呼称し、隣国アメリカ合衆国で盛んなアメリカンフットボールによく似たスポーツです。カナダではアイスホッケーに次いで人気のあるスポーツで、国内8チームからなるプロリーグカナディアン・フットボール・リーグ(CFL)の優勝決定戦グレイ・カップはカナダ最大のスポーツイベントです。カナダに旅行に行った際はぜひ見ておきたいスポーツの一つですよ。
【アイスホッケー】
日本ではあまり馴染みのないアイスホッケーですが、現在カナダでは最も盛んなスポーツで、国技にも制定されています。カナダの国土はアイスホッケーに非常に適した自然環境で、冬の間は子供から大人までが娯楽でアイスホッケーを楽しむという人も多くいます。カナダ国内にはホッケー選手230人に一つの割合でインドアのアイスホッケーリンクが存在しています。北米最大のプロリーグであるNHLは1917年にカナダで設立され、その後アメリカ合衆国へと拡大しました。現在カナダ7チーム、アメリカ合衆国23チームの計30チームからなります。NHLの優勝決定トーナメントであるスタンレー・カップにカナダのチームが勝ち進むと大きな盛り上がりを見せます。男子はオリンピックでは初採用となった1920年のアントワープ五輪から1952年のオスロ五輪まで7大会で金メダル6度、銀メダル1度の圧倒的強さを誇っていましたが、ソビエト連邦や欧州諸国の台頭に伴い、長らく金メダルから遠ざかってしまいます。2002年のソルトレイクシティ五輪では50年ぶりの金メダルを獲得し、2010年の地元開催となったバンクーバー五輪では男女とも金メダルを獲得しています。
【野球】
野球はアメリカ合衆国の影響を受け、カナダでもポピュラーなスポーツの1つとなっています。カナダ最大の都市トロントを本拠地とするメジャーリーグベースボール(MLB)のトロント・ブルージェイズは米国外に本拠地を置く唯一の球団です。ブルージェイズは世界初の本格的開閉式ドーム球場ロジャース・センターを本拠地としており、1992年、1993年にはワールドシリーズを連覇しました。当時はブルージェイズがMLB屈指の強豪球団であったため、1991年にはMLB史上初めて年間観客動員が400万人を突破したましたが、近年のブルージェイズは成績・観客動員共に低迷状態にあるようです。カナダ出身の野球選手では、ラリー・ウォーカー、1992年に日本の中日ドラゴンズでプレー経験もあるマット・ステアーズ、ジャスティン・モルノー、ジェイソン・ベイ、ジョーイ・ボット、ラッセル・マーティンらが有名です。
【カナダの前史】カナダの先住民は4万年前の氷河期にシベリアからベーリング海峡がまだ陸続きだった頃新大陸に渡ってきたインディアンです。インディアンの時代はカナダ史上、「ファースト・ネイションズ」と呼ばれます。ファースト・ネーション(先住民)やイヌイットの言い伝えでは先住民たちは時の始まりからこの地に住んでいたとある。一方、考古学的研究では北部ユーコン準州に26,500年前、南部オンタリオ州には9,500年前に人類がいたことが示されています。西暦1000年頃には北欧のヴァイキングがアイスランドからニューファンドランド島に到達し、さらに南下しましたが、ヴァイキングの居住地は永続しませんでした。西欧史上、最初にカナダを「発見」したのはイギリスのヘンリー7世が派遣したイタリア人探検家ジョン・カボットとセントローレンス川を探検したフランス人ジャック・カルティエです。
【ヌーベルフランス時代】
1526年以降、フランソワ1世が探検家カルティエをしばしばカナダに派遣し、セントローレンス川流域を探検させました。16世紀半ば、この地はフランス領となります。1608年フランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランがセントローレンス川中流域に永続的なケベック植民地を創設しました。これらは後にそれぞれアカディアとカナダの首都となりました。ヌーベルフランスの植民地の中ではカナダ人はセント・ローレンス川流域に、アカディア人は現在の沿岸諸州に集中的に居住している。フランス人の毛皮商人とカトリック宣教師たちは五大湖、ハドソン湾そしてミシシッピー川流域からルイジアナを探検しました。フランスの植民目的はインディアンとの毛皮交易の拠点を作ることで、ルイ13世の宰相リシュリュー枢機卿は1627年、ヌーベルフランス会社を設立し、植民地経営を会社に委ね、同時にカトリック教徒以外の者が植民地に入植することを禁止しました。1672年にはルイ・ド・フロントナク伯爵が知事として赴任し、長年フランスと対立していたイロコイ族と和約します。1674年ラバル司教がケベック植民地に赴任し、聖職者養成のためにケベック・セミナリーを創設しました。このセミナリーは北米最古の大学ラヴァル大学に発展します。1682年ド・ラ・サールがミシシッピ川流域をフランス領と宣言し、1712年、ヌーベルフランスはメキシコ湾にいたるルイジアナ植民地にまで拡大します。しかし、この頃から世界各地で英仏の対立が激化し、英国のアメリカ植民地との間に一連の北米植民地戦争が開始されます。この一連の抗争の最後となる七年戦争が勃発するとニューイングランドの英軍はケベックを襲撃し、1759年英仏両軍はアブラハム平原で激突しましたが、仏軍の大敗に終わり、ケベックは英軍の占領下に置かれました。1763年のパリ条約でフランスはカナダの植民地を放棄し、ケベックは正式に英領となりましたた。これ以後、イギリスはカナダ植民地と称するようになります。
【英領になったカナダ】
新たに英国の支配下に入ったフランス系住民は約65,000人に達し、すべてカトリックでした。1774年ケベック法を制定してフランス民法典とカトリック教会の存続を容認しました。翌年アメリカ独立戦争が勃発し、アメリカ大陸議会がカナダ住民に革命への参加を呼びかけてきましたが、フランス系住民は応じななかったそうです。この年、モンゴメリー将軍率いるアメリカ革命軍はモントリオールを占領し、ケベック市に迫ったが撃退されました。1783年戦争が終結し、アメリカ合衆国が成立すると、アメリカのロイヤリストは国内に残ることを嫌い、ノバスコシアやケベック東部に大挙して移住してきます。ノバスコシアに移住したアメリカ人は35,000人と見られ、新たにニューブラウンズウィック植民地が設置されました。またオンタリオ湖西方のセントローレンス川上流部に移住した者は約5,000人で、カナダの人口が増えたため、英国議会はアッパー・カナダとロウアー・カナダに分離する措置を取りました。1793年にはアレキサンダー・マッケンジーがロッキー山脈を越えてフレーザー川流域に達する大陸横断に成功し、英領カナダの領域は西方にも拡大していきました。1812年の米英戦争が勃発するとカナダは再び米国軍の占領の脅威を受けますが、上カナダにおける米軍の侵攻は撃退されました。1840年には合同法が制定されて分離していた上・下カナダが中央政府の管理下に置かれ、これ以後はカナダ・ウエストとカナダ・イーストと呼ばれるようになりました。 【自治領になったカナダ】 幾度かの憲政会議の後に、1867年7月1日、1867年憲法法が採択され、オンタリオ、ケベック、ノヴァスコシアそしてニューブランズウィックが統合され「カナダの名の下の一つの自治領」である連邦がつくられました 。カナダはルパートランドと北西地域を合わせたノースウエスト準州を統治することが前提とされています。この地では不満を抱いたメティによるレッド・リヴァーの反乱が起こり、1870年7月にマニトバ州がつくられています。この時期のカナダを代表する職業のひとつに傭兵があります。1853年からのクリミア戦争で活躍した将兵の多くはカナダの出身者で、またイタリア統一戦争ではバチカンを防衛してサルディニア軍と戦ったのもカナダの義勇兵。南北戦争に参加した者も少なくはなく、メキシコ内乱では反乱軍と皇帝軍の両陣営にカナダからの傭兵がいたとさえいわれています。これらの実績のうえに、1926年イギリスはカナダに外交権を付与し、英国議会は1931年、英連邦諸国は英国と対等であり、共通の国家元首に対する忠誠心で結びついているだけであると決議しました。このウェストミンスター憲章によってカナダは実質的には独立を達成したとされています。
【独立国家カナダの誕生】
1930年に保守党が政権を獲得し、リチャード・ベネット政権が成立しました。ベネット政権は、合衆国がスムート・ホーレー法を定めて高関税政策をとったのに対抗して、「イギリス帝国」内における経済的連携の強化を図ります。こうして、イギリスや諸自治領を招き、いわゆるオタワ会議が開催されました。1935年より、ベネット政権は合衆国にならったカナダ版「ニューディール」を行おうとしましたが、既に同政権が国民の信頼を失っていたこと、この試みが州権主義の侵害として反発を招いたこと、自由党のマッケンジー・キングへの期待が高まっていたことなどがあり、同年の選挙で保守党が大敗して「ニューディール」は挫折に終わってしまいます。第二次世界大戦では、カナダは英連邦の一員として直ちに参戦し、英国に3個師団を派遣してブリテン島防衛の任務に就かせると共に、カナダ国内に英連邦空軍訓練計画を設立して約12万人の空軍要員を訓練しました。戦後のカナダは国際連合とNATOに当初から加盟し、朝鮮戦争には27,000の兵力を派遣。1952年にはカナダ生まれの総督が初めて任命され、1964年には赤白のカエデの葉の国旗を制定、1965年2月15日に初めて掲揚されました。1965年のモントリオール万博の頃からケベック民族主義の傾向が顕著になり、1969年には英仏両語がカナダの対等な公用語として定められます。ケベック分離主義政党は1976年のケベック州議会選挙に勝利し、1977年にはフランス語をケベック州唯一の公用語と定めて英語の使用を制限しました。1982年に英国のカナダ法の改正と、それに続くカナダ憲法の成立により、カナダは真の独立国家としての地位を確立したのです。
カナダ(Canada)は、北アメリカ大陸北部に位置し、10の州と3の準州を持つ、連邦立憲君主制国家です。首都はオタワ(オンタリオ州)。世界で2番目に大きい面積の国土をもちます。カナダの名称は1982年憲法が制定される前には複数の名称が存在しましたが、現在は公用語の英語とフランス語の双方で「Canada」のみが公式名と定められています。また、連邦制を強調するため「カナダ連邦」、「カナダ連邦政府」などの呼称が使われることもあります。国名はセントローレンス川流域イロコイ族の「村落」を意味する語「カナタ」に由来しまます。
カナダは歴史的に先住民族が居住する中、外からやってきた英仏両国の植民地連合体として始まりました。その後イギリスからの独立プロセスが1867年から始まり、様々な手続きと立法を経て1982年、主権国家となります。立憲君主制で、連邦政府の運営は議会制民主主義で行われています。世界の先進8ヶ国の一国。旧来よりアメリカ合衆国の影響が強く、国際政治で立場を異にすることが多い複雑な関係ながら、隣国のアメリカ合衆国との交流が盛んです。また、1992年、北米自由貿易協定に加盟し、メキシコを含む北米3国間での交流も促進されました。カナダは世界的に高い好感度を得ていて、英国放送協会(BBC)がまとめた国際世論調査によると「世界に最も良い影響を与えている国」では、カナダは日本とともに1位に選ばれました。
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